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Saloon of Adventurers

剣と魔法のファンタジー世界における権謀術数を描くオリジナル小説

小編に【夏至の祭】を追加しました。

INFORMATION

今年の夏至は6月21日でしたが、その前日に鵬とLINEしてて、そういや夏至の祭がどうこうってかなり昔に書いたなあ、と思ったところから書いたモノです。…どうしてこうなった…。

 あんまり恋愛、というかセックス、に積極的でない人のそういう場面を書くのは、直截的にならないように、とか、下品にならないように、とかいうブレーキが働いてちょっとやりにくい 筆が滑るとハーレクインになりかねないので(笑)。

 もともとBLなんかを書いていたこともあり、キャラ設定のときや、折々に「そういえばこのキャラの初体験はいつでどんな感じだったんだろう」っていうのを考えることが結構あります。短編にできるほどのものばかりではありませんけど(笑)。

 今回のはどちらかというとトラウマ的初体験かも…。
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【夏至の祭】(承前)

小編

そこここに先客がいるのに彼は気づいた。ひとつのかたまりのようになっているどの影も男と女で、そして人より夜目のきく彼の目には、彼らが何をしているのかも映った。
 彼の身のうちは、これまで経験したことのない感覚に、かっと熱くなった。が、しかし女のほうは周りでうごめく人影なぞ一向に気にかけぬふうで、思いがけぬ力強さで彼をその場にほとんど釘づけにした。
 ちょうど藪が切り払われたばかりのところで、後じさった彼は思わず知らず切り株に足をとられ尻餅をついた。弓と箙が草地に落ちる。膝のあいだに、毛織のスカートがふわりと降りてくる。
「そんななりしてるのに、よほどうぶなのねえ」
 女の手が彼の頬に触れる。ちょっとかさついた――糸を紡ぎ、鍋を火にかけ、牛酪〔バター〕をかきまぜる、百姓女の、働く者の手だ。
「はじめてなの?」女が言う。
「はじめて、って……」
「決まってるじゃない――夏至の祭よ」くすくす笑い。「何だと思ったの?」
「いやその――祭、に来たのははじめてだから――」
「あら」女は意外そうに言って、彼の太腿の上に座りなおした。まるまると肥えた仔兎が二羽、膝の上で遊んでいるような、むずがゆいような感触。
「じゃああんたはこのへんの人じゃないのね」そして、「いいわ」と口中でつぶやいた。
「今夜はみんなお相手をみつけにくるの。独〔ひと〕り者はみんなね。で、お互い気に入ったら――あとはわかるでしょ」
 女の話に耳をそばだてずとも、いっそう高まってゆく楽の音〔ね〕に、きれぎれに嬌声もまじるのがわかる。
「お、おれは――……」
 肘をついて上体を起こそうとした彼の胸を、女は両手で押しとどめた。
「ねえ、若い猟師さん、あんたはまさか所帯持ちってわけじゃないんでしょ、それとも誰かほかに好いた女〔ひと〕でもいるの?」
「い、いや、べつにそんな相手はいないが――」
 ただどうにもどぎまぎしているだけだ。
「責任をとって、なんて言わないよ」女はどこか苛立ちと哀しみをにじませる口調で言った。「女から声をかけたのに、恥かかせるつもり? 夏至の祭に花の一本、端切れのひときれももらえない娘くらいみじめなものはないんだから――あたしにはどうしても今夜が必要なの」
 口をひらきかけた彼の唇は、女のそれにふさがれた。濡れたやわらかな感触に聴覚まで奪われたようで、耳の奥で鼓動が大きく鳴り響く。女からはかすかに苦い唐花草〔ホップ〕の味と、太陽の名残のような汗の匂いがした。
 女の手が彼の胴着と下穿きのあわいに忍び込み、あっと思ったときには彼は女のなかに呑み込まれていた。
 身体全体〔すべて〕が脈うつ心臓になったかのようだった。背にかがり火を負った女の影が、彼の上で妖しい生きもののように踊り、その蠱惑的な光景と、相変わらず狂ったように高まり続けるフィドルの音に、彼の頭はくらくらした。
 炎と興奮と踊りとが最高潮に達したとき、原始の獣のように、目を瞑り彼はうめいた。
 腰の中心で爆ぜた熱がひいてゆき、あれほど鳴り響いていた楽の音もおだやかになったかと思われた。と、ふっと体が軽くなったのを感じて彼が目を開けたときには、すでに麦藁色の髪をした娘の姿は消えていた。
 彼は散らばった弓矢を拾うのも忘れ、まだ燃えている焚火とそれをめぐる人垣のなかに娘の姿を探した。
 だが、くるくる回り続ける切れ目のない輪のどこからも、彼に向けられる視線はなかった。どの若者もみな夢中で、熱情にうかされたまなざしを目の前の相手にひたすら注いでいるばかりだった。
 呆然と立ちつくす彼の前で炎は夜の底を焦がし、人々は入れ替わり立ち代わり踊り続けた。

 女の言ったとおり、まさしく夢のような一夜だった。
 あくる朝、陽が高く昇ってみると、みな、何事もなかったかのようにいなくなっていた。むろん、ひと晩じゅう燃えていたかがり火の黒い燃えがら、そのまわりに踏みならされて土がむき出しになった二重の円い輪、それから大勢の尻に敷かれ押し潰された草葉の上の朝露、そういったものは残っていたが、人々は誰も彼もお行儀よく、そ知らぬ顔をしておのれの仕事に戻っていったのだ。
 注意深く目を凝らせば、娘のスカートの尻や若者の膝あての緑のしみを見つけることもできたろう。そして彼らが幸せそうに微笑みをうかべ、こっそり目くばせし合うのも、やがて地母神の僧の前で互いの手をとることになるのも。
 だがそうではない者もいて、彼もそのひとりだった。
 夜が明けてから、否〔いや〕、そのあとも、彼はあの麦藁色の髪、思いつめた眸〔め〕をした娘を探した。ふたつみっつ丘を越えた向うの村まで足を伸ばしたが、娘のゆくえはわからなかった。
 ついに居酒屋の主に尋ねて笑われ――それでも親父は親切に、この村の娘ではないと教えてくれた――
「そりゃ、よほどあんたが嫌われたか、その娘が訳〔ワケ〕ありなんだろうよ」
「訳あり?」
「そうさ。そういうことがたまにあるのさ。夏至の祭で夜どおし外で過ごすのは独りもんってことになってはいるが、ここだけの話、亭主が種〔タネ〕なしで、けどどうしても子供がほしいとなった女が踊りの輪に加わって相手を探すってことがね。夏至の夜に宿った子は“妖精の子”だっていって、何も言わず聞かずに育てるならわしなんでね」
「…………」
 押し黙った彼をなぐさめるように、
「赤ん坊をこしらえるのが目当てなんだったら、ほかの男も相手にしてるかもしれんよ。あんたはまだ若いんだ、また良い娘っ子が現れるさ、そう気に病むもんでもないよ」
 ――だから己〔おれ〕は嫌だと言ったんだ。
 不意に現実〔いま〕に引き戻され、ウルバインは眉間に皺を寄せた。
 目の前にあるのは磨きたてた水晶硝子をはめ込んだ窓で、そこから見える藍色の夜空には大輪の向日葵〔ひまわり〕のような花火がいくつも花開いている。あの夜のかがり火から飛び散る火の粉のように。
 帝都の奥深く、広大な宮殿にいてさえ、二の郭、三の郭のお祭り騒ぎは風に乗って聞こえてくる。さすがに都では、広場に花や紙の細工物で飾りつけた櫓を立ててそのまわりで踊りあかしたりはしても、そのへんの暗がりで将来の結婚相手と相性を確かめ合うなどということはしない。都市の住人たちは計算高いのだ。相手に差し出せるのがおのれの身ひとつ、情愛だけではないことを知っている。家柄、財産、将来性――そんなしがらみに縛られているのだ。
(……糞、夏至の祭が終わったら、次は己の誕生祭だとか言っていたな)
 眉間に刻まれた皺がますます深くなる。
 一の郭においてはそれが嫁選びのようなものだ。彼の意見や好みどころか、相手となる娘の意向すら一顧だにされぬ――それが帝国〔このくに〕のためなのだと。その交わりから生まれるのはまちがいなく“妖精の子”だ――どちらの世界の輪からもはじかれる。
 焦がれていた、というのとも少し違うのだろう、と彼は思う。あの娘を探したのは、ただ、かかわりをもってしまった者に対する責任感のようなものだ。娘が彼と一緒になることを望まないのであれば、何ができるわけでもない、せいぜい、弓矢の道で稼いだいくばくかの金を渡すくらいが関の山だったろうが……。
 鹿の聴覚を持つ彼の耳が奏楽の音をとらえた。樫の扉の向こうで演奏されているとおぼしき妙なる調べ――繻子の沓〔くつ〕で踊る貴婦人の衣擦れさえ聞こえてくるような気がして、彼は頭を振った。
 もう二度と、名も知らぬ娘の手をとって、野卑な輪舞〔ロンド〕に加わることはないだろう。
 軽い靴音が控えの間に響く。
 侍従長と、礼服を両腕に捧げ持った小姓がひかえめに皇帝の寝室の扉を叩いたとき、彼は猟師じみた外套をひっかぶり、隠れ扉のあいだにするりと身体をすべりこませたあとだった。

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【夏至の祭】

小編

(……参ったな。ずいぶん遅くなってしまった)
 彼はようやく西の木立のてっぺんにかかろうかという太陽を見遣った。
 太陽の女神の黄金〔あかがね〕色の裳裾は長く尾をひいて、白樺の木立を紫がかった藍色に染めあげていた。かの女でさえも、今宵は地下の宮殿へ帰るのが惜しいのだ。
 長かった北国の冬が終わり、若草の萌えたつ頃、女神の薔薇色の指は木苺の実を紅〔あか〕くし、野兎の巣穴にふわふわした毛並みの仔兎をあふれさせ、花冠をつくる娘たちの頬にも朱を散らす――今夜ばかりは夜どおし踊り明かしたとて誰にも何も言われはしない、なぜなら今夜は夏至の夜なのだから!
 すっきりと背の高い白樺と潅木に囲まれた村はずれの空き地には薪がうず高く積み上げられ、その周りでは、かがり籠に火を入れる男集の姿が黒い影のように動いている。ふたり、三人と連れ立って、それを遠巻きに見ている娘たちのふくらんだスカートの影も。くすくす笑いあう声すら風に乗って聞こえてきそうなくらい、どこかうきうきした、爆ぜる直前の火花のような熱っぽい空気が薄闇に満ちていた。
 だが彼には全く無縁のことがらだった。彼はこの村の一員ではないし――もっというと純粋な人間というわけでもなかった。かといって黄昏のほうに近しい種族でもなかった。
 次第に濃くなってゆく夕闇に、ちょっと考えて、彼は深緑の頭巾〔フード〕を目深〔まぶか〕にひきおろした。いかにも猟師といった、肩口に狼の毛皮をあてた鹿革の胴着、背には櫟〔イチイ〕の長弓、箙〔えびら〕に刺した矢の矢羽はすべてみごとな鷹の尾羽、腰には藪を払うための片刃の鉈を吊るしたそのなりは、しかし、荒くれた山男というには、肩幅こそ広いもののほっそりとして背が高く、一本角の若鹿のようにしなやかな筋肉がつき、フードのはしからのぞく黒髪のひと房は細い三つ編みに結ってあった。いくら帝国広しといえども男がそんなふうに髪を結う風習はないのに加え、フードのなかにはもっと特徴的な、うすく尖った耳介が隠されていた。
 知らぬ者には妖魅を思わせる容姿でもあったし、そうでなくともおのれがあまり人あたりがよいとはいえぬのを彼は承知していた。それで、森の境のおのれの苫屋〔とまや〕から人界へ足を踏み入れる折には、少しでも疑いの視線をそらそうと、こうしてフードをかむるのだった。
 森にいれば食べ物に困りはしないが、手に入らないものはある。そのうちのひとつが塩であり、彼個人にとっては鉄の鏃〔やじり〕がそれであった。
「やあ、こりゃみごとな雉〔キジ〕だな!」
 彼が言葉少なに差し出したつがいの雉と山鳩三羽を前にして、塩の小袋を差し出しながら、村でただひとつの雑貨屋――実際は居酒屋と宿屋も兼ねている――の主人は上機嫌で言った。
「あんたは腕がいいから助かるよ。今度、こういう雄の雉を、一度に十羽ばかり仕入れてほしいんだがね」
「どうして。宴会でもあるのか」
 居酒屋の親父はからからと笑い、
「違う違う。このあいだ、行商人から聞いた話なんだが、最近、都のほうじゃ、高貴なご身分の奥方なんかのあいだで、派手な鳥の羽根を使った帽子が流行っているんだと。それで、できたらひと月に一度、三十羽はほしいっていうのさ。あんたが週に一度来てくれるんなら、一度に十羽ずつってことになるだろ」
「……毎回それだけ獲っていたら、森から雉がいなくなる」
「あんたの腕じゃそうなるだろうなあ」
 彼の答〔いら〕えは冗談ととられたようだった。
「まあとにかく考えておいておくれよ。都の女ってのはとにかく妙なものが好きらしいからなあ。こっちじゃそれこそ、きれいなリボンとか、端切〔はぎ〕れとかで十分だってのに」
 そこで、ずいと、分厚い栗木のカウンターに身を乗り出して、
「そうだ、リボンやら何やらの小間物なら、うちにあるよ。どうだい、ひとつかふたつ買っていかないか」
「…………」
 彼はちょっと思案した。
 彼の知る女性――母も姉も、身を飾る小物には全くといってよいほど興味を示さなかったからだ。
「いや、要らん」
 彼の答えに、何が可笑しいのか主人はげらげら笑い出した。
「こりゃあ大した自信だ――そりゃ、あんたくらい腕のいい猟師なら、毛皮のひと巻きもくれてやればいいんだろうが、娘っ子ってのは、そういう、益体もないものを欲しがるものなんだよ」
「……?」
 フードの奥の怪訝なまなざしにようやく気づいたのか。店主は今度は呆れたように目を丸くして、
「何だい、それじゃほんとに今日が何の日か知らなかったっていうのかい。まさかね! 森にこもってるとそうなっちまうのかい? 今日は夏至だよ――今夜は夏至の祭なんだよ!」

 この時代、娯楽はそうおいそれとあるものではない。市の立つ町ならまだしも、こんな田舎の片隅ではなおのこと。だから今日は誰もがちょっとずつそわそわと浮き足立っていて、鍛冶屋でさえ鼻歌まじりに仕事をし、彼の注文を仕上げるのにいつもの倍の時間を要したのだった。
 やがて、気の早い星がひとつふたつまたたき始め、彼は草原〔くさはら〕の端を、ねぐらに向かって歩いていった。
 やわらかな鹿革の長靴〔ブーツ〕で、獣のようにほとんど足音を立てずに歩く彼の脇を、木靴を履いた娘たちが手を取りあって駆けてゆく。そのあとを若い男たちも追う。若者たちがわっと歓声をあげるのと同時に、藍色に沈んでいた彼の視界に、ぼっと巨大なオレンジ色の光がともる。薪山に火がつけられたのだ。
 彼は思わず足を止めて炎に見入った。
 乾いた薪の束はあっというまに炎の舌に舐め尽くされ、彼の目にさえ、楽しげに踊り狂う火蜥蜴たちの長い尻尾が見えるかと思われた。
 それとともに、彼は吸い寄せられるようにオレンジ色の炎へ近づいていった。いつのまにか、フィドルの音〔ね〕が薪のはぜるぱちぱちいう音に混じり、宵闇の空気を甘くふるわせていた。
 妙なる調べというにはほど遠い腕前だが、たしかにその弦は人々を躍らせる力をもっていた。誰かが笛で加わり、炎のまわりは人の輪で二重〔ふたえ〕にとりまかれた。輪の外側にいる彼からは、小妖精じみた黒い人影が、右に左にぴょんぴょん跳ね踊っているように見えた。
 不意に輪のなかから手が伸びてきて、彼を踊りの輪に引きずり込んだ。
 意外なほど、彼の足はもつれもせず輪舞に加わった。
 踊りの輪に加わる人数はどんどん増えていった。彼はこの村でそれだけの人間を目にしたことはなかったから、近隣の村々から集まってきたのだろうと思われた。みな一様に若く、巨大なかがり火に照らされた面〔おもて〕は、炎に負けず劣らずあかあかと輝いている。
 輪のなかと外が入れ替わり、男と女が向き合ったかと思えばくるりと背を向けて次のお相手へ移ってゆく。単純なステップだが、その単純さが人々を酔わせた。手から手へと回し飲みされる酒のせいもあったかもしれぬが、弦も切れよとばかりに弾き鳴らされるフィドルと、木の燃える煙を裂くように甲高く高まってゆく笛の音が一役買っていることはまちがいなかった。
 一体何周回ったのか、何人相手が替わったのかも知らぬまに、彼は目の前の女の手をとっていた。
 小柄な――まあ彼の背丈に並ぶような女はそういないが――はちょっと上目遣いに彼を見上げた。麻の頭巾〔かぶりもの〕からは麦藁色のお下げがのぞく。
 知らぬ顔だ。もっとも、彼はそれほど頻繁に村落へやってくるわけではなかったから、そうそう知己ができるはずもないのだが。
とりたてて美人というほどでもない。が、汗のうかんだまるい額の下の胡桃〔くるみ〕色の眸は、はっとするほど強い光をたたえていた。
 フィドルが狂ったようにトリルを奏〔かな〕で、みなそれに合わせて手をつないだまま大きく跳ね、ために彼のかむっていたフードがぬげた。
 このあたりではそうはお目にかかれぬ、肩のあたりまである真っすぐな黒髪がばらりとこぼれた。夜半〔よわ〕にあってさえ、闇を吸い込んだような黒絹の髪と、それにふちどられた白皙の貌〔かお〕は、炎の照りかえしがなくとも、かすかに光を放っているかのようだった。
「きれいな顔してるのね」
 女が驚きと、少しばかり照れをにじませた表情(かお)になる。女の顔はあかりにつやつやと健康的に照り映えている。その頬が紅いのは、跳ね回ったせいか、酒か――いずれにせよかがり火のせいだけではあるまい。
 女はいくぶんうるんだ瞳で彼の顔をじっとみつめた。
「――ね、あっちに行かない」
「いや、おれは……」
 抗う間もあらばこそ、彼はぐいぐいと女に袖を引かれ、焚火のあかりが届くか届かぬくらいの草地の暗がりへ、なかばひきずられていった。

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第十六章(18)

第十六章

異母妹を帝国領へ――その夫となる男の腕のなかへと――送り出してしまうと、ユディウスは彼の望んだ仕事へ戻った。
 侯爵様はじめ、皆様はとてもよくして下さいます、とフィオリナはしたためた。
『お兄様からいただいたお薬のおかげで、体はもうすっかりよいのですが、侯爵様と伯爵様が、無理をしてはいけないとしきりにおとめになるものですから、しばらくこちらへご厄介になることになりました。……』
 深更〔よふけ〕に、そこだけあかりをともした執務室で、ユディウスは異母妹のやわらかな蹟〔て〕を眺めた。
「……フィオリナ〔あれ〕がもう少し尻腰〔しっこし〕のある女だったら、おそらくは、侯爵どころか皇帝の鼻先をとらえてひきずり回すこともできようが」彼は誰に聞かせるでもなくつぶやいた。
 ユディウスがフィオリナに贈った花嫁道具のなかには、金と象嵌で飾った小函〔こばこ〕が含まれていた。その中身について彼はこまごま説明しており、うちいくつかはたしかに初夜に役立ったものもあったのだが、ひとつはかの女の突然の体調不良と関係がないとはいえなかった。
「……だが私は娼婦の妹がほしいわけではないからな」
 輿入れまでのあいだの、大公の、異母妹に対する溺愛ぶりは、多少演技が入っていたとはいえ、彼にいささかなりと反感をもつ者たちは、近親相姦の気〔ケ〕でもあるのかと噂し合った。
(口を慎め、下衆どもが)
 全く正反対のタイプの、肉感的な小柄な娘の姿がうかぶ。
(このあいだは一緒にファリアに連れていってほしいようなそぶりもみせていたな……あの女は私がリーンサル〔こっち〕であたらしい情婦でもつくるのではないかと気を揉んでいるのだろうが……)
 マデハ男爵夫人――メッサリナとは、パルファンの城に戻った折に、非常にあわただしく一戦交えたきりである。辺境に詰めていたときはもちろんそんな余裕はないし、ファリアに腰を据えているあいだも、部下たちが娼館に入り浸るのはともかく、彼自身はそれほど見境ないわけではない。
 ファリアの宮廷で召し使っている侍女はほとんどがリーンサル人である。被支配国の婦女子を無理やり手篭めにしたなどと悪評が広まれば、これまでの骨折りが水の泡だ。ユディウスはこの国で、自分〔おのれ〕が好かれているわけでも崇敬されているわけでもないことをよく承知していた。
 向うから言い寄ってくる分には構わないのだが、彼は(己がそうであったように)謀殺のたぐいをつねに疑っていた。ベッドのなかでは一切の装身具を外すのだからなおさらだ。
 浮気なメッサリナが大公不在のあいだに、どこの誰とよろしくやっていようと、あれはおのれの始末は自分でつけられる女だし、べつにどうとも思わない。
(まあ……だが今回も役には立ってくれたわけだし、あとで何か贈って機嫌をとっておくか)
 ユディウスは覚え書きをいくつか書き留め、フィオリナの手紙を文箱へしまいこんだ。

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第十六章(17)

第十六章

次いで、新婚夫婦は主君であるウィンドール侯爵の招きに応じて州都へ出向いた。
 ファリアとは、否、故国と比べても格段に華やかな選帝侯の宮殿と、いかにも垢抜けた貴顕の居並ぶ宴にフィオリナは気おくれすることしきりだった。
 だが、フィリオ・ウィンドール侯爵はこの百合のように愛らしい伯爵夫人をすっかり気に入ってしまい、夫そっちのけでしきりに踊りに誘う始末であった。
 この道ゆきにはクローデル伯も同行していた。ウィンドール侯爵が、当初の予定を越えて伯爵夫妻をひきとめるので――正直、夫の存在はどうでもよかったのだろうが――彼にとってはかなり苦々しい状況となっていた。
 それでもなんとか説き伏せて出立した矢先、州都から十里もゆかぬうちにフィオリナが体調をくずした。
 静養させ、医者にみせても、はっきりした原因はわからぬという。
「無理をさせすぎたのだろう」と訳知り顔にフィリオ。
「ええ、以前にもさように聞いたことがございます。けして丈夫なほうではないとか」夫も答える。
「おお、であればなおのこと体をいとうべきだ。そなたらさえよければ、気兼ねなく滞在しておって構わぬのだからな。なんの、大公家の姫は我が侯爵家にとっても遠縁のようなものだ」
「しかしフィリオ殿下、このうえは陛下とのお約束が……」
 苦りきった内心を押し隠し、クローデル伯が言上する。
 それを侯爵は半眼でねめつけ、
「そうは言うが、一体、陛下は何用あって、新婚間もない夫婦を遠く帝都まで呼びつけようというのだ。まだ甘い夢にひたっていてもよい時期、おまけに伯爵夫人の体調も思わしくないというのに、長旅で何かあったらどうするつもりだ。ラムージオ伯は俺の直臣であって陛下のではないことを忘れたわけではないだろうな。だいたい、陛下の後宮にはそれこそ目移りするほどの名花が揃っていると聞くぞ。戻って、陛下によろしくお伝えするといい。――」
 選帝候家当主と夫本人の抗議に遭っては、クローデル伯はやむなく帝都へ帰参するしかなかった。ラムージオのほうは主君が新妻に色目をつかうのを快く思っていたわけではなかったのだが。
 ――要するに、おのれの手に入るもので満足しておけというウィンドール侯爵の申し送りが伝えられたとき、マリウスは今度こそ笑い転げたのであった。

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プロフィール

吉村杏

Author:吉村杏
6才の頃からファンタジー好きで、12才の時にミリタリーにもハマりました。ミリタリーはYahoo!に置いてきて(笑)、こっちではファンタジー一本でいこうかと。

更新は基本的に週末の土日、執筆ペースが追いつかない場合は不定期です(笑)。反対に追いついた場合は週の中日にupすることもあります。気長におつきあいください。

ちなみに、ブログタイトルは小説のタイトルではありませんのであしからず…。

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