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第十三章

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「やみませんねえ……」
 誰に聞かせるでもなく、うっそりとマリウスがつぶやいた。これで何度目になるだろう。十日前から断続的に降り続く雨は宮殿の白壁と区別のつかぬほど、窓の外を白くけぶらせていた。
 隅々〔すみずみ〕まで庭師の手が入った芝生も、いまが盛りと咲き誇る薔薇も美人草も、それを愛でるべくそぞろ歩く人影は、内庭のどこにも見当たらぬ。篠突〔しのつ〕く雨を嫌って、鹿たちは森の奥深くへ隠れ、貴婦人たちも、ドレスの裾や絹の靴が濡れるからと出歩こうとしないのだ。
 そんなわけで、彼も、そして皇帝も、ここのところは己の最も好む娯楽に出かけられずじまいでいた。
 皇帝も、その愛馬も多少の雨ならば気にしない。が、小姓たちに遠駆けで泥だらけになった長靴や馬具の汚れをこそげ落とさせるのは酷だ、と、少年時代父親に同じことを命じられたウルバインは控えているのだった。
 代わりに何をしているのかというと、
「でもこうして室〔へや〕に私とこもりっきりでいたら、かえってよからぬうわさを立てられかねませんしねえ……」
「? どんな噂だ」
「私と陛下が怪しからぬ関係だ、とかいうやつですよ」
「…………」
 うしろでは皇帝の、あるいは顧問官ランドローヴァル侯爵の祐筆たちがみなうつむいて肩を震わせている。
「どこの誰が、よりによって、己とおまえに、そんなうわさを立てるというんだ、このコルドゥアンの太鼓持ちが――ほら、これで最後だ!」
 ウルバインは羽ペンを放り出し、ついでに、なめらかに黒光りする樫の大机の上に脚を投げ出した。
「まったく、こんな――次から次へと紙の端っこに自分の名前を書いていくだけの作業なら、猿に芸を仕込んでやらせたほうがまだましだ!」
 その言い草から、彼が文書のおもてを見ていないのはあきらかであった。どのみち皇帝が署名〔サイン〕する書類ははじめ執政官たちの手で、次いで宰相によって、最後はマリウスにより慎重に仕分けられていたのだが。
 それでもマリウスは、一体誰が、過日、アールミン伯のトーナメント開催申請書を“許可”の決済箱にまぎれこませたのだろうかと勘ぐっていた。
 シャンベリ伯領は帝都からそう遠くない。トーナメントがひらかれると聞けば、御幸の行列を仕立ててもいいからひと目見に行きたいと騒ぎ出すウルバインが、ひと言も口にせぬのもまた解〔げ〕せぬところではある。
 宰相候の秘書官が来室を告げ、裁可を待つ書類の入った文箱〔ふばこ〕を置いていった。
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