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小編

小編〔過去編〕(3)

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 そこにいたのは羊飼いの村娘などではなかった。森のなかのあばら屋に隠れ住むあやしげな老婆でもなかった。
 少しかしげられた面〔おもて〕は彼の両手のひらで包み込めそうなほどちいさく、かたちよくととのっている。もう晩春だというのに、降ったばかりの雪のように白い頬。白大理石から注意深く削り出された彫像のように繊細な頤〔おとがい〕が、優美な曲線を描いた首筋とまろやかな肩へつながる。
 まるく、ひいでた額を後光のように淡い金の髪がふちどり、曙の光に照らされた雲のように背に流れる。金の流れのあいだからは、陽に透けるほど耳朶のうすい、先の尖った耳がちょこんと顔をのぞかせている。
 ほっそりとした膝の上にそっと重ねられた両の手は、絹の手袋もかくやと思うほどのなめらかさ。
 何より彼を釘付けにしたのは、春の空の色をしたその瞳であった。名匠が絵筆で刷いたようにやわらかな弧をえがく金いろの眉と、頬に影を落とすほど長いまつげの下で、叡智の泉が光をたたえていた。
 彼が二十六年の人生のうちで一度も出逢ったことのない、生ける女神がそこに座っていた。
「どうかなさいました?」
 竪琴を爪弾くような声。彼はしばしそのしらべに聞き惚れたあとようやく、かの女が大陸共通語――かつて人が、獣と、そして妖精たちとさえともに在〔あ〕った時代の言葉といわれている――をつかっていることに気付いた。
「いや――あの……その……」
 おそらく人間に許される以上に女神を見つめ続けていたに違いない、なぜならろくに口が利けなくなっていたからだ。
 彼は溺れかかったように口をぱくぱくさせ、女神の差し出した水の杯をごくりとひと口飲〔や〕って、ようやく自分の舌を取り戻すことができたのだった。
 と同時に、あわてて、口髭にまとわりついた脂や雫を手の甲で拭う。
「貴女〔あなた〕が――俺、いや私を助けてくださったのですか」
「あなたは泉のほとりで倒れていました」歌うような調子。かすかに古風な訛りはあるが、それもまた耳に心地よい。
「そのまま放っておくわけにもゆかなかったものですから、此方〔こちら〕にお連れしました。お寝〔やす〕みになるのにそのお腰のものはお邪魔でしたでしょうけれど、わたくしには触れられぬものでしたから、そのままに」
「お恥ずかしい――その、あまりに空腹だったもので。なにしろ森のなかで彷徨〔さまよ〕い続け、この三日三晩というもの、水さえ口にできなかったものですから」
「いまは青葉の月ですのに? 木苺や茸にはこと欠きませんでしょう」
 女神に紛う娘は――というのも実際、外見〔みかけ〕上は二十二、三を越しているとはとうてい思えなかったからであるが――心底不思議そうに言った。
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